カワサキ創成期のエピソード

カワサキ=川崎重工業株式会社は、今でこそ世界に名だたる巨大カンパニーだが、その創成期には当時ならではのストーリーがある。この企画は、それらストーリーの当事者たちに直接話しを伺った回顧録である。

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当時を知っているからこそわかることがある。混沌とした現代にこそ、我々は忘れ去られつつあるカワサキ創成期のあらゆるエピソードを今に伝え、その想いを受け止めるべきではないだろうか。今回は、メグロからカワサキに移りゆく時代に青春時代をすごした吉田信夫氏に当時の話を聞いた。

メグロとの付き合いは、免許試験場から始まった

吉田信夫氏

岩手県在住の吉田信夫は、10代のころからおよそ50年にわたってメグロのバイクに乗って来た。また、メグロをはじめとする旧車コレクターとしても有名で、“ノブさん”といえば、東北の旧車マニアの間で知らない者はいない。

「最初にメグロと出会ったのは、18歳で受けた二輪免許試験のとき。当時は250cc以下限定の軽二輪免許と、今の大型に当たる自動二輪免許の2つの免許がありましてね。自動二輪免許の試験用として、スタミナK1とK2が用意されていたんです。私が受けに行ったときは、ちょうどK1の調子が悪くてK2に乗せられたのをよく覚えてますよ」

当時、250cc以上の大型バイクといえば、メグロか陸王くらいしかなかったそうで、多くの試験場でメグロが採用されていたようだ。しかし、メグロは英国車を見本としていたため、ブレーキとチェンジペダルの位置が左右逆だった。一方、ホンダやヤマハはドイツ車にならって現在主流の右ブレーキ、左チェンジを採用していたので、それらになれていた人にはかなり難しかったという。また、高価な大型バイクは普及率も低く、多くの人は運転を練習する機会もなかった。試験場で初めて大型バイクにまたがる受講者も多く、合格率はかなり低かったそうだ。

「私も一度落ちました。実は試験を受けに行くとき、なぜかカッコつけて革靴と折りめの付いたズボンを履いて行ったんですよ(笑)。ちょうど雪が溶けたころだったんですが、試験場にはまだ雪が残ってまして。坂道で一旦停止して再発進するところで足を着いたら革靴がズルッと滑って転びましてね(笑)。次の日に長靴履いて再び試験を受けましたよ。メグロとの付き合いはそれ以来です」

免許を取った吉田は、職場の同僚からセニアT2を購入する。これは排気量650ccの並列2気筒エンジンを搭載したメグロが誇る最上級モデルであり、誰にでも乗ることのできるバイクではなかった。

「親父が日産の工場で働いていて、私もそれを手伝うようになったんですが、そこの社員の一人がセニアT2を持ってたんです。いいなぁ、乗ってみたいなぁとずっと思っていて、2人乗りでツーリングに連れて行ってもらったこともありました。ある日、その人が結婚することになり、『お前こいつ買わないか』と声がかかって、5万円でゆずってもらったんです。当時の月給が1万2,000円ほどでしたが、何回かに分けて払いましたよ。ところが親父に『危ねえからそんなもの売ってしまえ』と言われたんですよ。でも売りたくない(笑)。もちろん、いやだとも言えない。やっぱりオヤジの方が強ぇから。だから友達のところに預けてちょくちょく乗りに行ってました。当時、盛岡の白バイは500ccのK2(スタミナ)だったんですが、白バイを見付けては『俺のオートバイ、どうだい?』って自慢してた(笑)。うれしかったねぇ。取り締まる側が500ccで、俺のは650cc。どうだ、すげぇだろって(笑)」

まだ舗装が進んでいない時代の話である。ようやく国道4号線が舗装されたくらいで、そこからはずれるとポツポツと部分的に舗装されている場所はあったものの、ほとんどが砂利道だったという。パンクも日常茶飯事だったのではないだろうか。

「パンクしたっていう記憶はないですね。昔の砂利道は砕石ではなかったんですよ。川原にあるような丸っこい石だった。だからパンクしなかったんじゃないかな。当時はよく十和田とか田沢湖とか、都街道など何十回って走ったけど、パンクしたっていう記憶はないねえ」

しかし、砂ぼこりはすごいものがあったはずである。エアクリーナーもすぐに詰まりそうだ。そのあたりはどうだったのだろうか…?

「当時はそれが当たり前だったから、とくに大変だとも思わないし、よくしようとも思わなかったね。逆に、俺っちの時代は舗装路も砂利道も、どっちも速く走れるような柔軟性があったんでないかな。舗装路はスピード出せても砂利道は全然ダメっていうライダーが多いけど、俺たちはどっちも走れないといけねえから。二刀流でしたねぇ」
50年間、乗り続けているだけあって、さすがにツワモノである。

モトクロスにハマって赤タンクで駆ける

第一期モトクロスブームが到来していた1960年代後半に10代の多感な時期をすごした吉田は、当然ながらモトクロスにも強い興味を示した。

「バイク屋の息子が、モトクロスみたいなバイクを3台作ったからレースに出ようということになったんです。俺も乗りてえなぁと思ってたんだけども、先約があって乗れなかったんですよ。でも直前になってそのうちの一人がおびえてしまって、『俺、走らね』って言い出したんです(笑)。それで俺にチャンスが回ってきた。いや、実を言うと勢いで“走る”と言ってしまったものの、私も怖くて仕方がなかったんですよ。もしも誰も知らなかったら、俺もやめてたかもしれね(笑)。でも今さらやめるわけにもいかねえってんでスタートしたんですが、そこからは全然記憶がないんです。無我夢中で走ってるうちにチェッカー振られて、がんばったな、3位だぞってトロフィーをもらったんですよ。うれしくてね。で、もっとトロフィー欲しいなと欲が出た(笑)。それからカワサキのG1Mを手に入れて月1回くらいのペースでレースに出てました」

モトクロスコースを疾走する吉田
G1Mの他にもいくつかのマシンに乗っていたため、今となってはこの車両がなんだったのかは思い出せないそうだが、後ろの73番がモトクロスコースを疾走する吉田だ

G1Mは、1960年代にモトクロス界を席巻した赤タンクモデルの一つで、G1Lをベースにした90ccの2ストロークエンジンを搭載するモトクロッサーである。吉田は1971年に小岩井で開催された全日本では4位に入賞して、当時カワサキのエースライダーであった山本隆選手に声をかけられたほどというから、かなりの実力であったことがうかがえる。

こうして新たな楽しみを得る一方でバイクの再生も始めるようになる。

「解体屋から半分土に埋もれてるようなやつをタダでもらってきて、コツコツ直すようになりまして。掃除してやるだけで、なんとかエンジンはかかるんですよ。どんなにボロくてもプラグとキャブレターが付いて、水が入らないようにさえなっていれば大丈夫。今みたいに完璧に燃やしてないし、オイル上がりもあるから、シリンダー内部が油っぽい。だから錆びなかったんだね。そんなのを年に1〜2台ペースで直してました。金がかかるのはワイヤー類とタイヤくらいで、あとは錆びてても磨けば光るし、色塗ったりしてやればキレイになるから」

とはいえ、必要な部品の調達などには資金が必要だった。そこで旧車仲間同士の売買を仲介したり、段ボールや鉄、アルミ、廃バッテリーなどを集め、それらを再生業者に売ってまかなっていたそうだ。それほどまでして集めた車両は、一時期20台以上もあったというから驚く。

「メグロやキャデット、レンジャー、S7、S8、アーガス、Z7スタミナなど、いろいろやりました。傑作はやはりZ7ですね。唯一ビッグシングルエンジンを持つモデルで、前後19インチタイヤを履き、ホイールベースが長い分シートが低かった。日本人の身長を考えた作り方してるなぁって思いましたね。それから、よく覚えてるのはアーガスかな。350ccの単気筒で圧縮比がけっこう高かったんですよ。低速の粘りがすごくてパワーありましたね。ちょっとした坂ならトップのままでもグイグイ登っていくんです。スタッドボルトがクランクからヘッドまでとおしだったんで、スタッドボルトが抜けることがあって、ネジを立て直してオーバーサイズのスタッドボルトに変えたりしてましたね。トランスミッションとクランクケースが一体だったので、ぎくしゃくすることがなかったのもよかったなぁ」

一方で多くのモデルに共通の構造的な弱点もあったようだ。

「メグロは大体ロッカーアームが摩耗してしまいますね。ロッカーアームの可動軸に対して、プッシュロッドとタペットの位置が斜めに交差していて、力が斜めに加わるので、摩耗しやすいんです。調子が悪いときはまず最初にここを疑いますね。それ以外のギヤとかトランスミッションはかなり丈夫。壊れて乗れなくなるようなのはなかった」

数々のメグロを再生してきた吉田だけに、メグロへの思い入れはかなり深いものがある。

「なんだかんだいって思い出に残っているのはメグロ。オートバイの原点なんですよね。魅力はなんといってもその音です。とくにメグロの2気筒はやわらかくて、太くて、やさしい音。日本人にぴったり合った音なんじゃないかね。ちょっと控えめで品がある。それでいて精一杯がんばってくれてるっていうのがライダーに伝わってくる。それに、致命的な箇所がないうえ、この部品じゃなきゃダメという部品も少ないから、別なもので代用できてしまう。だから、メグロのバイクっていうのは、好きな人だったらバイク屋に持っていかなくても乗り続けることができるバイクなんだよね。そこがメグロはすばらしいなと思います。まさに再生マニアの登竜門ですね」

メグロに魅せられ続けた吉田。そこにはライダーを強烈に魅了する何かがあるに違いない。

プロフィール・吉田信夫

岩手県紫波群にて自動車塗装業を営む。旧車の再生やモトクロスの他、トライアルやサーキット走行まで、ありとあらゆるバイクライフを楽しんできた。




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