カワサキ名車列伝

カワサキが誇る伝説の名車の数々を美しい写真とともに紹介

1973650RS W3

“打倒、英国車”の志のもと独特のバーチカルエンジンを搭載し黎明期のカワサキの運命を担ったW。その最後を飾ったのがダブサンだった。

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ヨシムラ

始まりがあれば終わりもある。メグロ・K2によって産声を上げたカワサキ最強・最速の夢。進むべきは新時代への技術投入であり、進化することであった。そして、1974年12月、カワサキのラインからバーチカルエンジンは姿を消す。ひとつの時代が終わりを告げたのである。

“速さと排気量だけが、バイク乗りの求めるものでない”という証明

カワサキのビッグバイクは、65年にバーチカルエンジンを搭載したメグロK2から始まった。そして、翌年の66年に、K2を継承しながらも性能・デザインを一新し、“最速”の称号をひっさげてW1は登場した。しかし、W1はものすごい振動を発生させるバイクだったので、アメリカ人たちのごく普通の乗り方、つまり長距離を高速で連続走行するという使い方には、とても快適なマシンとは言えず、走行中の部品の落下が相次ぎ、クレームが続出したため海外市場からそっぽを向かれ、3年後にはW1Sを最後にアメリカからの撤退を余儀なくされた。また、W1よりもスポーツ性能にすぐれた2ストロークエンジンを搭載するA1[サムライ]とA7[アベンジャー]が66〜67年に続けてデビューを飾ると、カワサキの主力は、完全に2ストロークに移行し、さらに68年のCB750FOURの登場によって、国内最大排気量の座もゆずることとなった。

68年にWキャブレターで6psアップしたW1Sが登場、さらに71年にはそれまで英国流の左ブレーキ/右シフトチェンジであったW1のポジションを、市場で常識になっていた左シフトチェンジ/右ブレーキに改良をした扱いやすいW1SAを71年に登場させる。これはカワサキにすれば次期モデルまでの延命策であったが、結果的にはこのW1SAがシリーズ中でもっとも売れた。人気が再燃し、Wシリーズ中、最多の生産台数を記録することになったのだ。これは、Wの持つ雰囲気にひかれているライダーが多く潜在し“速さと排気量だけが、バイク乗りの求めるものでない”という証明でもあった。

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自ら市場投入した新型エンジンを持って終止符を打つ

しかし、73年に究極の4ストロークエンジンを搭載したZ1がデビューすると、すべてのバイクシーンは大きく変貌を遂げる。年々激化する市場戦略において、Wは古い商品でしかなく、74年のW3を最後に、すべての生産を終えることとなった。カワサキはメグロK2で4ストロークマシンに着手し、K型から14年続いたバーチカルエンジンの歴史に、自ら市場投入した新型エンジンを持って終止符を打ったのである。

かくして、ラインナップから姿を消したWシリーズだったが、重厚な質感、独特な音、個性的な味わいは、現代のマシンとは比べようもないほどの魅力を持ち、その姿は多くのWフリークによって残されることになった。98年に登場したWの復刻番ともいえるW650が99年の販売台数2位を記録するほどのヒットを放ったのも、オリジナルがいかに人々を魅了していたか、ということを表す一端でもある。伝説は走り続け、ダブルの魅力が色あせることはないだろう。

650RS W3が発売になった1973年(昭和48年)の出来事

第4次中東戦争勃発により、日本は深刻な石油危機に/セブンイレブンジャパン創立/全国で魚介汚染発生広がる/ベトナム戦争停戦/セイコーより世界初の液晶デジタル腕時計/ガソリンスタンド初の休日休業を実施/刑事ドラマコロンボの「うちのカミさんがね」が流行語/小松左京の日本沈没がベストセラー/雑誌「るるぶ」「宝島」創刊/漫画「エースをねらえ」「ブラックジャック」連載/TV「子連れ狼」「ひらけ! ポンキッキ」/映画「仁義なき闘い」「エクソシスト」「スティング」アカデミー賞/ジョンレノン、アメリカ移民局から国外退去を命じられる/競馬でハイセイコー10連覇達成

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