カワサキ創成期のエピソード

カワサキ=川崎重工業株式会社は、今でこそ世界に名だたる巨大カンパニーだが、その創成期には当時ならではのストーリーがある。この企画は、それらストーリーの当事者たちに直接話しを伺った回顧録である。

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ヨシムラ

当時を知っているからこそわかることがある。混沌とした時代にこそ、我々は忘れ去られつつあるカワサキ創成期のあらゆるエピソードを今に伝え、その想いを受け止めるべきではないだろうか。今回はかつてW1に乗り、現在ではW3に乗るといった、Wシリーズを愛する男が、当時のW1について語る。

音と振動のバランスがこのうえなく快感

カワサキが、本格的に二輪事業の海外輸出を開始したのは昭和39年のことだった。そして昭和41年からは、大型車志向の強いアメリカ向けに、W1の輸出が開始される。排気量650ccのこのモデルは、当時としては国内最大級の排気量で、最高速度は185km/hを記録した。

期待を背負って輸出されたW1だったが、注文こそ殺到したものの、きびしい評価が下されてしまう。あまりに振動が大きく、部品落下のクレームが相次いだのである。

W1はヨーロッパにも輸出され、当時の現地では珍しいカワサキの車両ということで注目こそ集めたものの、BSAやトライアンフのコピー作といった酷評も受け、ヨーロッパにカワサキ車を定着させるまでには至らなかった。

しかし今となっては、当時酷評を受けた振動も、一つの個性的なエピソードとして扱われ、逆にこの振動が“味”として受け入れられている。レトロ調のデザインも今では愛され、90年代にはW650、現在ではW800というニューモデルも誕生するに至っている。また、現在オーナーズクラブも発足され、根強く車両オーナーを確保している。今回主役の落合誠さんもそのうちの一人で、W1オーナーを中心として、茨城県結城市を拠点に活動しているオーナーズクラブ、結城624クラブの会長を務める。

落合さんは現在W3に乗るが、W1〜650RS W3までのWシリーズが発売されていた時代は、W1に乗りバイクライフを謳歌していた。

「16歳で免許を取ったんだけど、小学生のころからバイクが好きだったからね。ずっと16歳になるのを待ってた感じだよね。俺たちの年代は、そりゃ100%のヤツがバイクに乗ったわけじゃないけど、ハシカにかかるようにほとんどのヤツがバイクに乗っていたからさ」

落合さんが免許を取得した昭和40年は、二輪免許に関しては50cc以下と、50cc超の2種類しかない時代で、50cc超を所持していれば、排気量は無制限でバイクに乗ることが可能だった。東京で生まれた落合さんは、その50cc超の免許を取得するために、品川区にある鮫洲運転免許試験場で免許試験を受ける。合格率は10人に1人の割合だったが、落合さんは1回で合格する。

「1回で合格したといっても、試験車両は125ccのビジネスバイクのようなもんでさ。考えてみれば、それでナナハンにも乗っていいっていわれてもさ…、うまく走れたもんじゃないよ。それでかどうかはわからないけど、750SSに乗って事故って死んだ奴は同級生でも何人かいたしね。だから免許制度が変わっていったのかなと思うけどね」

いきなり大型車は危ないと語る落合さんは、最初こそCB350エクスポートを購入するものの、半年乗っただけでW1に乗り替えてしまう。

「友達がCB750FOURとか乗り始めると、やっぱりこっちも大きいのに乗りたくなっちゃうんだよ」

中古で購入し、価格は当時13万5000円。CB350エクスポートを8万5000円で下取りに出して、残り5万円を、アルバイトで稼いだ資金でまかなった。

[証言者・落合 誠]まぎれもない日本車

落合さんは、16歳のとき免許を取得すると、その半年後にW1を購入する。ヘルメット着用の義務がなかった当時、快適にW1を飛ばす落合さん。皇居の周りなどをけっこう走っていたそうだ

「英国車のコピーなんて意識、全然なかったよ。そんなこと意識してるヤツ、周りにはいなかったね」

「よくいわれるのがW1は音がいいってこと。でも、確かに音はいいんだけど、それだけじゃないんだよね。振動と音のバランスがいいんだよ。とくに加速していくときの音と振動のバランスは、W1に乗っている人だったらみんな気持ちいいって言うだろうね。だからW1に乗っていたってのもある。それと当時は、BSAとかトライアンフのフルコピーなんて意識はまったくなかったよ。そんなことわかったのは、最近ていうことはないけど、24年前に、今のクラブ、結城624クラブを作って、ダブルにこだわり出してから。ダブルのルーツをいろいろ調べ出したら、BSAにたどり着いて。若いときは、全然そんなこと知らなかったよ。単純に走りたいとか、スピードが出るとか、それだけで乗っていたから。あのころ、ルーツがどうだとか、ベースがどうだとか、それにこだわって乗ってるヤツって、少なくとも俺の友だちにはいなかったよ。カワサキが作った国産車。ただ、それだけだったね」

このとき昭和45年で、すでに他社のラインナップも変化し、CB750FOURといったナナハンクラスの国産車も発売され始める。

「そのときはもうマルチの時代に入っていったわけだから、W1はその時点でもう時代遅れだったんだよ。それでも生産されていたのが不思議だよね」

その後、18歳でバイクに乗らなくなった落合さんは、23歳になると今度はW1Sに乗り始める。以後、身体でダブルの魅力を感じてきた。

「今の方がよっぽど大事に乗っているよ。あのころは壊れたとかどうとか、全然気にしなかったから(笑)。けっこうひっくり返って、エキパイなんか曲げちゃったりしてね」

2本あるエキゾーストパイプのうちの損傷してしまった1本をショップで交換した際、左右のエキゾーストパイプの取り回しが異なることに気付く。それもそのはず、新たに取り付けたエキゾーストパイプは昭和46年に発売が開始されたW1SAのモノだったのだ。

「そのころになると、もうW1のエキパイは出てこなかったんだよね。ただ、欠品パーツとはちょっと意味が違ってさ。結局、SAのエキパイでもW1に付いちゃうと、W1のエキパイをオーダーしても、年式の新しいSAのエキパイが届いちゃう。カワサキに限らず、こういうことって結構あったよ。でも、そのときは初期型のパーツだとか初期型じゃないとか、そんなこと全然気にしてなかったからね。乗れればいいやって」

落合さんは、こういた情報を身体で覚えてきた。

「やっぱりその時代に生まれて、発売当時にダブルに乗って育ってきたのが財産だよね。それと、発売当時の状態のいいダブルに乗れたこと。それも財産だね。でも、今じゃ、それこそ結城624クラブのみんなでエンジンをバラしたり、レストアしたりしてるけど、当時はまったくそんなことしなかったからね。もう乗るだけ(笑)」

今でこそ、Wシリーズの整備やパーツ、そして歴史など、まるで専門家のように熟知している落合さんだが、かつては歴史やメカニズムがどうとかいうよりも、単純にバイクに乗りたいからということでW1に乗っていたようだ。逆に、当時バイクに乗ることに肩肘を張っていなかったからこそ、後に、自分が乗っていたバイクを知りたいと思うようになり、23歳のときのリターンがあり、そして現在のバイクライフがあるのかもしれない。

[証言者・落合 誠]まぎれもない日本車

落合さんが乗るW3。当時のカタチを色濃く残した状態で所有する。これまでW1、W1S、W3など、多くのWシリーズを乗り継ぎ、いっとき複数台のWシリーズを所有していたこともあるそうだ

プロフィール・落合 誠

昭和29年8月7日生まれ・東京都出身。W1のオーナーをメインとして構成されるオーナーズクラブ、結城624クラブの会長。昭和45年に免許を取得するとW1を購入し、現在はW3に乗る。このうえなくダブルを愛し、その魅力を、一つひとつのパーツが単品でも美しく、嗅覚、触覚、視覚、聴覚など、人間の五感を刺激するモデルだと語る。また、ビンテージレーサーにも夢中で、自宅敷地内に設けたガレージに、複数台のビンテージレーサーを所有する




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