カワサキ創成期のエピソード

カワサキ=川崎重工業株式会社は、今でこそ世界に名だたる巨大カンパニーだが、その創成期には当時ならではのストーリーがある。この企画は、それらストーリーの当事者たちに直接話しを伺った回顧録である。

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ヨシムラ

当時を知っているからこそわかることがある。混沌とした時代にこそ、我々は忘れ去られつつあるカワサキ創成期のあらゆるエピソードを今に伝え、その想いを受け止めるべきではないだろうか。今回は、カワサキが販売網拡大に動き出したころ、異業種から転身し、販売店を開業した伊藤 彰氏が、その過程を語る。

タクシードライバー、販売店を立ち上げる

後発メーカーだったカワサキは、昭和35年にメグロと業務提携を結んだころ、まだ二輪メーカーとしての知名度は低かった。しかしB8などのヒットにより、二輪メーカーとしての知名度を上げ、昭和30年後半になるとその名も広まり、カワサキ車を取り扱う販売店が徐々に増えていく。なかにはカワサキの営業所がそのまま販売店へと移行したケースもあったほどである。現在大阪府に店舗を構えるカワサキ正規取扱店の忍者も、昭和40年前半に販売店を開業し、カワサキ車を取り扱うようになった一店舗だ。とはいえ同店代表の伊藤 彰は、まったく畑違いの職から二輪業界に転身してきたのである。

「私の親は厳しくてね。中学を卒業すると、丁稚奉公に出されたんです。奉公先は自転車屋です。月給7,000円、そのうち食事代3,000円と郵便貯金1,000円が天引きされたので、実際手元に残るのは3,000円でしたね、休みは月2回です。1年半ほどしてやめてしまいました」

伊藤はその後、16歳で免許を取得しバイクに乗り始める。

「バイクで東京とか九州に出かけていましたよ。その当時、もちろん高速道路なんてありませんから、一般道路を走ってですけどね」

その後、タクシードライバーの仕事に就くが、1年で辞めてしまう。このとき伊藤は22歳で、タクシードライバーをやめてしまうと、16歳からバイクに乗っていたということもあり、バイクショップの開業を考える。

「バイクショップを開業するといっても、このとき22歳と年齢も若く実績もなかったので、二輪メーカーは相手にしてくれませんから、新車を売ることはできませんでした。だから中古のカブとかを買ってきて、自分の店で売っていたんです。3,000円くらいで買ってきて、1万5,000円くらいで売っていたんです。とはいっても中古車といえども高かったですからね。二輪メーカーの販売店から買ってきたんです。当時は、バイクショップが下取りしたバイクを、二輪メーカーの販売会社が買い取ってくれたんです。その中古車を買うのでさえ、最初は相手にしれくれませんでしたが、何度も販売会社に通ううちに、ようやくそれらの中古車を売ってくれるようになったんです。うれしかったですよ。それを一生懸命に磨いてね。リムの間に手を入れて磨いていたもんだから、よく指の先を切りましたよ。で、これがよく売れたんですよ。なにせ毎日売れましたからね」

これが伊藤のバイクショップ経営の出発点だった。店名は伊藤モータースとした。

[証言者・伊藤 彰]異業種からの販売店開業
伊藤がバイクショップを開業して、初めて販売したカワサキのバイクはW1Sで、写真はそのときにお客と撮影したもの。お客はCL72を下取りにしてW1Sを購入。右から2人めの白いツナギを着た人物が伊藤である

「3ヶ月間で6台を売ってほしい」営業担当者からの提案を受ける

当時はバイク専門の販売店は少なく、自転車や自動車の販売店が、バイクを取り扱っていた。これに対して、伊藤はバイクをメインにした販売店としていた。これがカワサキの目に留まったのだ。大阪のカワサキ販売会社に勤務する営業担当者が伊藤モータースに訪れた。伊藤、24歳のころだった。

「私のバイクショップから離れた場所に、大型のバイクショップがあったんですけど、そのショップに営業マンが500SSを納車する際に立ち寄ってくれたんです。竹内 優さんという方で、クルマに積んだ500SSを私に見せてくれたんです。その竹内さんとの出会いが、私がカワサキ車を取り扱うようになったキッカケです」

その営業担当者は、伊藤の前で500SSのエンジンをかけて、そのエンジン音をとどろかせた。

「私はそのとき、エンジンがかかった500SSを初めて見たんです。ブワー!っと煙を吐いてね。すごいな! こんなバイク売れるのか?といったのが、そのときの印象ですね」

この後、幾度となくその営業担当者は伊藤の元を訪れた。

「私は竹内さんにほれて、『カワサキのバイクをもっと私に売らせて下さい』と頼んだんです。すると、まず3ヶ月間でカワサキのバイクを6台売ってほしいと言われたんです。とはいっても、カワサキ車を販売させてもらうための条件というわけではなかったんです。あくまでも竹内さんからの提案にすぎなかったんですけどね。その後1台、また1台と売れていって、もうすぐ3ヶ月めが終わるというときに、売った台数が5台だったんです。1台足らないわけですよね。だから仕方ないのでW1を自分で買ったんです」

3ヶ月間で販売台数6台というのは、カワサキ車を取り扱うための条件ではなかったものの、伊藤氏はその販売台数をクリアし、この出来事を機に、伊藤モータースではカワサキ車を本格的に販売するようになる。

「当時、私の店は立派なテントもない小屋のような建物だったので、カワサキに、カワサキのテントがほしいと伝えたんです。すると、当時カワサキと業務提携していたテント屋がなく、私に探してほしいと頼まれたんです。そこで自分でテント屋を探して、やっとカワサキのテントを掲げることができたんです」

こうして伊藤モータースは、カワサキ販売店を大々的にアピールすることになった。すると、他メーカーの販売会社の営業担当者も伊藤モータースに訪れるようになった。

「その当時は、自転車の販売を兼ねた店がバイクを売っていたんですが、そういった店が扱っていたのは小排気量のバイクがほとんどでしたね。じゃあ他メーカーの大型車はどこで売れたかというと、カワサキのテントを上げていた店です。カワサキのバイクは重量車というイメージがあってね。カワサキのバイクを扱っている店は、重量車を扱う店というイメージが持たれていたんですよ。だからカワサキのテントを上げていたら、他メーカーの重量車も売れたので、そう言った店には、他メーカーの営業マンたちが、バイクを置いてほしいとよく営業に来ていましたよ」

500SSやW1Sなど、大型車を扱っていた伊藤だったが、ときにはお客に対して販売を断らざるを得ないこともあった。

「当時でいえば月賦ですよね。お客が分割でバイクを買ったときに、もしお客の支払いが遅れたら店がメーカーにお金を支払わなければならなかったんです。だから、お客の自宅近所に聞き合わせに行くんです。どこどこの人は支払えるかどうかってね。そのとき近所の人が難色を見せたら、販売しなかった。だからカワサキの人と、お客の家に販売するのを断りに行ったこともありました」

このようにバイクの販売を断ることもあれば、逆にお客にバイクを販売して感謝されることもあった。

「集団就職で大阪にやってくる人もいましてね。大抵が未成年の人たちです。そのような人がバイクを買いに来たりしたんですけど、支払い能力がないので、実家の親に電話して、『息子さんがバイクを欲しいと言ってるんですが』と伝えたりしたこともあります。たぶん店にやってきた人も親にバイクが欲しいって言ってるんでしょう。親も『いくらですか? お金送りますので』と返答してくれたりしてね。その後も『息子がお世話になってます』と、米やナスなど、実家で作っている物を送ってくれたりしたこともありました」

伊藤がカワサキのバイクを本格的に取り扱うようになったのは、カワサキの営業担当者にほれてのこと。そしてお客とのつながりも大切にしていく。このように伊藤は人と人のつながりを大切にしながらバイクショップを営んできた。

「私がまだバイクショップを始めたころ、竹内さんをはじめとしたカワサキの方に、いろいろ教えていただきました。私のカワサキ人生を語る上で大切な方たちです。もうその方たちはカワサキを定年退職されてますが、今でもお付き合いさせていただいています」

カワサキのバイクショップを営んできた伊藤が、今に活かされていることについて挙げたのは、人とのつながりを重んじることだった。

[証言者・伊藤 彰]異業種からの販売店開業
伊藤は積極的にバイクの展示会を開催。写真は伊藤が経営する伊藤モータースから少し離れた場所にある敷地を借りてカワサキの展示会を開催したときのもの
[証言者・伊藤 彰]異業種からの販売店開業
この写真は店舗前で開催した展示会。Z2などのZ系モデルを多数展示。写真手前が店舗前で、道路を挟んだ写真奥の敷地も借りて、カワサキ車を並べた
[証言者・伊藤 彰]異業種からの販売店開業
写真右側の建物が創業時からの店舗で、左側の店舗を後に増築する。創業時からの店舗にかかる“KAWASAKI”のテントは、カワサキ車を取り扱い始めたころに掲げたテントである
プロフィール・伊藤 彰

大阪府堺市に店舗を構えるカワサキ正規取扱店・忍者の代表。昭和19年6月11日生まれ。昭和41年、伊藤モータースの名称でバイクショップを開業。その後、カワサキの特約店とアーク店を経て、現在のカワサキ正規取扱店となる。途中、店舗名を忍者へと変更。カワサキ車の販売に加え、カスタムにも力を入れ、オリジナルパーツも販売する。年間2万km以上を走る現役バイク乗りでもある




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