1972900 SUPER FOUR Z1

最高にして最後。その言葉通りの至上の傑作。 もし、このマシンが生まれなければ、世界のバイクシーンは違ったものになっていただろう。

名車列伝

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Photo by Daisuke Takeda

1972年─。歴史にその名を残すバイクが登場した。それは他と迎合することなく、確実に時代を見極め、熱いパイオニアスピリッツのなかから誕生したマシンだった。そしてこの不変のスタイルは、世紀を越えたこれからも、地上に輝きを放ち続けることは間違いない。

その車名に関された“Z”の由来は「最高にして最後のもの」という意味からアルファベットの最後の文字が与えられたことによる。また、当時カワサキでは新開発車にステーキ名を付けていたことからZ1はアメリカで「特大」を意味するニューヨークステーキの愛称が付けられた。

そして不変ともいえるこのスタイルは、多くの試行錯誤の末、最終的にA1から継承してきた「スリム・セクシー・スリーク/(3S)」と「ホンダに準じたことは絶対にやらない」というコンセプトの元に練られ、わずか4週間で描かれたのだという。ティアドロップ型のタンクやするどく切れ込んだテールカウル、ブラック塗装されたエンジンなど、随所に斬新さがあふれている。また、クランク軸とトランスミッションの交換以外、すべてのメンテナンスはエンジンをフレームに搭載したまま行なえる。このようにメンテナンス性まで考えて作られた市販車というのも、革新的なことだった。

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苦戦を強いられていたカワサキのビッグバイク

カワサキは66年に国内最大排気量のW1を登場させ、69年には伝説的最速マシン・マッハを放つなど「ビッグバイクのカワサキ」「最速のカワサキ」を印象付けた。が、それは単に「排気量と最高速が世界に追いついた」ということであり、モーターサイクルとして広くライダーたちから受け入れられるものではなかった。軽さ、トルク、振動のなさという実走したときの乗り味はトライアンフの650㏄の方が数段上で、市場投入した広大なアメリカでは扱いやすさに雲泥の差があった。また、アメリカそのものの排ガス規制がきびしくなり、2ストロークエンジンに批判的でもあった。要するにアメリカのライダーたちがモーターサイクルに求めていたものとカワサキが生んだものは違っていたのである。また、現実的な問題としてアメリカでの販売台数が伸びず、企業として利益を生むこともできなかった。

CB750FOURの登場。そして、カワサキが出した答えとは

そんな状況のなか、社運をかけたN600計画は進められていく。新4ストロークエンジンの開発は67年からすでに着手されていたが、最速でありながら乗りやすいマシン、つまり“マッハを越える4ストローク”の開発を目指すようになるのは、こうした鳴かず飛ばずの状態を打破するために必然であったのだ。そんな折、68年にホンダはCB750FOURを鮮烈にデビューさせる。カワサキが目指していた並列4気筒エンジンを搭載したCBの姿は、開発者たちにとって衝撃以外の何ものでもなかった。ここで、通常であれば業界王者のメーカーが出した答えに従い、後発メーカーのカワサキとしては、同じ750㏄でいくのが無難な路線であったのだが、意地のカワサキはあえて差別化でいくことを決定。当時、ビッグバイクではどこも採用していなかった並列4気筒DOHC・900㏄に挑んだ。開発者は「これで失敗したら、会社にはとどまってはいられんかったでしょう」と覚悟を決めていたという。そして徹底した機密保持のなか進められた開発計画は何度もコードネームを変え、完成を控えた最終段階では“9057”になっていた。

1972年、カワサキが世界の常識を塗り替える

やがて5年の開発時間を費やし、72年ついにZ1はデビューする。4ストローク、903ccのDOHCエンジンを搭載し82ps/8500rpmをほこるパワーはゼロヨン12秒、最高速209km/h以上と、世界一のデータをたたき出すことに成功。速いだけではなく、何よりも乗りやすく、タンデムでも高速巡行が可能なマシンとして、見事にその目的を遂げていた。その完成度の高さはマスコミや一般ライダーはもとより、レース界でも絶賛を浴び、キングの称号でたたえられ、カワサキに二輪として初の黒字をもたらすこととなった。

混戦を深めていく70年代の二輪業界のなかにあって、スタッフたちの熱い想いを受けて登場したZ。現在のフラッグシップと呼ばれるモンスターたちのほとんどが並列4気筒で、ツインカムであることを思うと、こだわりをつらぬき通し誕生したZが、今日のモーターサイクルの進むべき方向を決定付けたといえるだろう。それは、まさに“最高にして最後”という“Z”そのもののネーミングが示す言葉通りのことのようだ。

Z1が発売になった1972年(昭和47年)の出来事

連合赤軍あさま山荘銃撃戦。TV視聴率89.7%/沖縄が日本に返還され沖縄県に/札幌オリンピック開幕/横井庄一軍曹グアム島で救出される/日中共同声明調印。中国との国交回復・パンダ来日/田中角栄「日本列島改造論」発表。地価急騰/映画「ゴッドファーザー」「ラストショー」「わらの犬」「時計仕掛けのオレンジ」「ダーティーハリー」/吉田拓郎「結婚しようよ」大ヒット。キャロル、荒井由実デビュー/TV「科学忍者隊ガッチャマン」「マジンガーZ」放映開始

とじる


  • メーターは160マイル(250km/hオーバー)まで刻まれている。また精かんな形状をした砲弾型メーターは、Z1から取り入れられたデザインで、その後ネイキッドの主流になる
  • 独特の火の玉カラーと、デザイナーがとくにこだわったティアドロップ型のタンクが、Z1の流れるようなラインを強く印象づけている。またエンブレムは初期型より後期型が大きくなる
  • フロントフォークは外径36mm、ストロークは140mm。安定した走行性能はメグロ時代から採用されてきたステアリングダンパーを不要のものにした
  • ライダーに合わせて3ヶ所で調整できるミラーは、斬新で当時バカ売れした。ちなみにこのミラーで下請けの製造会社はビルを建てることができたとか
  • フロントブレーキは左にφ296mm、厚さ7mmのディスクをセット。またレースや走り屋用に、オプションで右側にセカンドディスクを装着できるようにブラケットが用意されていた
  • リヤブレーキはリーディング・トレーリングのドラム。径は200mmで制動力は確保されているものの、オーバー200km/hの世界ではやや不安材料
  • エンジンに刻まれたZ1E00007の文字はまぎれもなく初期型の証。ちなみにフレームも7番。このようにエンジンとフレーム番号が一致する車体は100番台未満までだとか
  • 世界初のDOHC・4気筒・900ccは耐久性を第一とし、1100ccまでボアアップが可能なように作られ、その完成度の高さは耐久レースで得る数々の勝利で十分に証明された
  • 4ストロークのビッグバイクとしてカワサキ初のセルスターターが装着されたが、キックペダルも用意しているところが時代を物語っている
  • 強制開閉式のミクニ製VM28キャブレターを4連で装着。この後、年式と製造工程によりセッティングとドレンボルトの位置が変更、さらに小型化も図られていく
  • 油圧式のダンパーが内蔵されたリヤサスペンションは、80mmのストロークを確保し、プリロードを3段階に調整できるようになっている
  • エンジンからスーッと後方に伸びる4本マフラーはインラインフォアの象徴。エンド部分の絞り具合にデザイナーのこだわりがうかがえる
  • アメリカ人の使用パターンである長距離走行やタンデムに対応できるようにそれまでのカワサキ車とは大きく違い、長く分厚いシートを装着。ただの最速マシンではない配慮がうかがえる
  • フロントから流れてくる美しいボディラインのとどめは、このシャープなテールカウルだ。このスタイルも現在のスポーツバイクのデザインの原点になっている
  • これが初期型の取り扱い説明書。表紙には誇らしげにZ1と書かれ、世界で初めて“DOHC”の文字が入った説明書だ
  • 充実した車載工具。未使用のため30年近い歳月が経ってもピカピカ。現在のものとほとんど変わらないが、一品ずつに川重の社章が刻まれている。初期型はドライバーの柄が金色になっている
  • 現在世界に数台しかないといわれるZ1のプロトタイプ。それまでのバイク史のなかで、世界のどのメーカーも具現化しなかった理想が、形をもった瞬間といえるだろう。写真のモデルはアメリカカワサキの元マネージャー、アラン・マセック氏の弟が長年に渡り大事に保管していたものをゆずりうけたもので、オーナーのはからいにより今回撮影させていただいた。量産の初期型とはタンクのエンブレム、シリンダーヘッドカバーの形状、スイングアームの長さ、テールカウルのライン、シート、キックアームの形状などに違いがみられる






カワサキイチバン