1969500SS MACHⅢ

白煙とともに走り去りさまざまな伝説だけを残してゆく、“カワサキ"の名を世に知らしめた乗り手を選ぶ最強最速モンスター。

名車列伝

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Photo by Daisuke Takeda

“ジャジャ馬”。“3速までウイリーしっぱなし!”。さまざまな伝説と逸話を残した500SS。前代未聞のスピードと加速力をたたき出したこのモデルは、カワサキ開発陣が執着する性能第一主義が生みだしたモンスターである。

発売当時、あるジャーナリストは言った。「走り屋でさえ、これを乗りこなすのは一苦労だろう」。まさにセンセーショナル。最高速度198km/h、ゼロヨン12・4秒、最高出力60ps、発売が開始された69年当時では驚異的なデータで、太刀打ちできるマシンはどこにも見当たらなかった。この前代未聞のハイスペックをひっさげて登場したモデルこそ500SS。発売当時このマシンをもってして、カワサキはあっという間に、高性能かつ過激なイメージを定着させてしまう。

500SSの開発が始まったのは67年夏。カワサキは、メインの市場となるアメリカのライダーの本質を知ろうと、徹底的に現地調査を行なう。調査の方法としては、将来のモーターサイクルに期待していることをアンケートで収集した。その結果得られたのは“世界一の加速性能と最高速度を有する”という内容だった。ゼロヨンレースなど、絶対的な加速力とスピードを求めるアメリカ人の気質が表れた結果である。

最高速度190km/h以上、ゼロヨン12秒台、最高出力50psでリッターあたり120ps。カワサキ開発陣が調査結果をもとにニューマシンに与えた課題である。こうして、世界最強にして最速のマシンの誕生に向け、開発がスタートした。

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性能第一主義を貫いて得た、圧倒的なスピード

開発コードは“N100″、基本方針は性能を犠牲にしてまでコストダウンは絶対にしないという性能第一主義で、開発者たちの並々ならぬ意気込みのもと開発が進められた。この想いは、量産車初となる2ストローク3気筒エンジンの採用という形になって現れた。

そのときすでにバイク界では、レース用として、中央のシリンダーを水平に、両側のシリンダーを前傾させたL型3気筒エンジンが存在した。このエンジンはリッター120psを発揮していたが、冷却効率が決していいとはいえなかった。一方で、試作エンジンとして並列3気筒エンジンも存在していたが、リッター85psだった。

カワサキは双方に量産車用の外装パーツや補機類を取り付け、風洞実験を行ない、シリンダーピッチやフィン長、そして前傾角度など、あらゆる仕様を変更してテストした。その結果、並列3気筒が多くにおいてすぐれていると判断。採用するエンジンは、並列3気筒で排気量500㏄と決まった。

またマフラーだが、開発過程においてアメリカ側から3本出しはアンバランスとの意見も挙がったこともあった。そのため、中央シリンダーに取り付けられるエキゾーストパイプを左右に分け、4本出しのレイアウトも試作される。しかし、性能面では3本出しの方が勝り、性能第一主義を押し通してきたカワサキは、マフラーのレイアウトを3本出しに決定。

こうして車体設計も含め、試行錯誤の末、68年9月、明石にて市販量産車が誕生。かかげた課題を見事にクリアしてのことだ。乗り味は決して万人向けとはいえなかったが、当時、他を寄せ付けないスピードは世界最速伝説を作り上げ、その後のカワサキに大きな影響をおよぼしたのである。

数多くの最新鋭技術を投入することで生まれたいくつもの伝説

500SSは車体に対して完全にエンジンが勝っていたため、“ジャジャ馬”といわれるほど、エキサイティングな走行性能を見せた。また、リッターあたり120psをたたき出すエンジンは“まるで化け物のよう”と評され、お世辞にも乗りやすいとはいえず、まさに乗り手を選ぶといった言葉がふさわしいモンスターだったのだ。

500SSのエンジンは点火方式にCDI方式を採用。これは量産二輪車としては世界初のことで、プラグには沿面プラグを選択する。これにより超高電圧を発生させ、通常のプラグと比較して2倍のスパークを飛ばし、シリンダー内の残留ガスを燃焼。パワーアップに貢献すると同時にプラグのかぶりなどを最小限に抑えた。

また、A1時代から熱対策に異常な執念を燃やしていたカワサキは、シリンダーヘッドのフィンを深く設計。さらに、合金製のシリンダーブロックと鋳鉄スリーブを強固に融合。その結果、効率的な熱伝導と放熱性を持たせ、冷却効果を高めたのだ。

このようにエンジンには、当時としては最先端の技術を採用するなど、さまざま工夫がされている。さらに、軽量な車体もあって、爆発的なパワーフィールを発揮。“3速までウイリーしっぱなし!” “白煙を噴きながらホイールスピン”など、数々のマッハ伝説を残した。

海外仕様としては68年、国内仕様としては69年に登場した500SS。その後は、主にフレームに改良が加えられながら、75年式を持って生産終了となる。

500SSが発売になった1969年(昭和44年)の出来事

宇宙船アポロ11号の月着陸船イーグルが月面着陸に成功/東京大学安田講堂に学生が立てこもる。375人が逮捕/東名高速道路が全線開通/読売巨人軍金田正一投手が400勝を達成/バラエティ番組“8時だョ! 全員集合”が放送開始/おもな流行語「あっと驚くタメゴロー」「やったぜ、ベイビー」/おもな公開映画「イージー・ライダー」「男はつらいよ(第1作)」

とじる


  • 国内仕様としては初期型となる69年式500SS。世界最高速度を実現すべく、性能第一主義のもと妥協のない開発が進められた。75年の生産終了までは、ブレーキやフロントフォーク、そしてフレームなど、車体をメインに改良が加えられた。輸出仕様は68年が初期型となり、ホワイトにブルーのストライプがあしらわれる
  • フロント19インチ、リヤ18インチのホイールを採用
  • ショートホイールベースで車体は軽く、それでいてパワーがあるため、すぐにフロントアップしてしまった。フレームはA1タイプをベースとして改良を加えたモノを使用。500SSの場合、ヘッドパイプ後方にパイプが1本補強されている
  • ホイールは19インチのスポークタイプ。ブレーキはドラム式でφ200mm。72年式H1Bからディスクブレーキが採用される。フェンダーは左右1本ずつのステーで固定
  • スイングアームはパイプを溶接して製作された。リヤショックのスプリングは不等ピッチタイプを採用し、初期の作動性の向上をはかった
  • 量産車としては初めてとなるフォークスプリング内臓のテレスコピック式フロントフォークを採用。イタリアのチェリアーニ製を研究して製作された
  • リヤにはフロント同様ドラムブレーキを採用。サイズはφ180mm。ブレーキペダルからロッドではなく、ワイヤーを介してブレーキを作動するシステム
  • 各シリンダーごと独立したマフラーを採用する。結果、左1本、右2本のレイアウトを持つ3本出しとなる。開発途中で4本出しも検討するが却下された
  • ステアリングダンパーはA7より採用され始める。“ジャジャ馬"と形容される500SSにはあってうれしい装備。なお、アメリカ仕様にはオプションで用意されていた
  • 爆発的な加速力を生み出すエンジン。コンパクトなフライホイール、そして点火方式をCDIとし、沿面プラグを使用するなど、新しい試みが多く採用された
  • メンテナンス時には便利なセンタースタンド。ただし、車体重量配分やセンタースタンドのレイアウトなどの影響から、スタンドアップが非常に重くなっている
  • タンク左前方下部に配置されたキーシリンダー。4ヶ所のポジションが設定され、パーキングランプやヘッドライトのオン・オフを切り替えることが可能となっている
  • 車体左側にはサイドカバーの代わりにオイルタンクが装着される。タンク容量は2.3ℓで、後方に装着された半透明のパイプでオイル量が確認可能
  • ハンドルの左右の切れ具合の硬さが調整できるようにと、ステアリングヘッド上部にはダイヤルが装着される。60年代の車両には採用されることが多かった
  • 75年式まで発売されていた500SS。このうち、70年H1まで、タンクの両サイドにはエグリプレスが入れられる。71年H1Aからエグリプレスは廃止される






カワサキイチバン